2023.10.02
今回は、私の失敗談をお伝えします。子どもの初めての「夏休みの宿題」に、作品展用の工作がありました。たまたま夏休み中にプログラミング教室があり、マイクロビットとモーターを使って何かをつくるという内容だったため、「(かっこ良さそうだし)これを作品にすれば?」と安直に子どもに提案してしまいました。これがいけなかった。子どもはプログラミングをしたこともなければ、モーターを使って何かをつくったこともない。やり方がまるでわからない中、全3回の講習で作品を完成させなければいけない。結果、親主体でつくることになり、大いに誘導することに。可能な範囲で子どもの意見を聞いたり手を動かしてもらうよう努めはしましたが…。
夏休み明けの作品展では、目を見張りました。ほとんどの作品が、うちと同じ「ほぼ親の作品」、「子どもは指示された通りにちょっと手を動かしました」といった仕上がりに見えたのです。子どもの作品展が親の作品展となっていることの異様さ。こんなに親が手を出しちゃ子どもは達成感を得られにくいのではないか… それに、子どもの自由で大らかな表現を阻害してしまっているのではないか… 自分のやらかしを根拠に、確信に近い疑念を抱きました。
では、幼少期であってもきちんと子どもの作品とするには、どうすればいいのでしょう。考えた結果の自論を述べると、①子どもが”つくる”経験を普段から積み重ねていること、そして ②親の自制:欲張らず急かさず、エゴを抑えて子どもをただ見守ること。この2点が必要と考えました。
「何でもいいからつくって」と言われてゼロからつくるのは、意外と難しいもの。3つのアプローチが考えられました。まず、コンセプトから入るもの。どのような目的で何をつくるのかを定め、様々な材料や手段を選び、試行錯誤しながらつくり上げます。次に、先ほどのマイクロビットとモーターのように、材料から入るもの。この場合は、まず子どもがじっくりとその材料に向き合う時間が必要です。最後に、模倣するもの。自分なりのアレンジも考えられるといいでしょう。普段の「つくる遊び」を通してこれらのアプローチを試し、子どもが様々な「つくり方」を身につけていれば、宿題で出されても子ども自身で対応しやすいでしょう。
自分のイメージしたものを、自分の手でつくり上げられた時の喜びと達成感は格別なもの。そのような経験のためには、危険なことや、子どもに求められることがない限り、親の手出しやコメントは控えた方がいいでしょう。折角なので、今回の失敗は子どものプログラミング経験の皮切りと捉えて、もっとつくる遊びを充実していかねば! と、改めて思った次第です。
Written by H.Owa